「あらゆる理性的な思考を殺せ。」
ブラウンのスーツにストライプのシャツ、中折れ帽。真にヤバい人間ほどスタイリッシュな装いに身を包んでいる。セットアップや革のコート、パリッとしたシャツにベスト。『裸のランチ』原作者ウィリアム・バロウズの写真は、その無表情で灰色の肉の顔面からは死の国からやってきた害虫駆除業者——もしくは探偵、殺し屋みたいな得体の知れない恐ろしさが滲むもハードボイルドで格好いい。黒ムカデの肉はじめ諸々珍妙な品々が並ぶ異境、このインターゾーンに棲まう作家たちは、砂埃をのせた風が愛撫する猥雑な灼熱の地にすっかり滲む、土色の洋服を纏い煙草とすかすかのプレッツェルを片手に記録し続けている。虫の死骸入りの琥珀の底で燻らせる煙と殺虫剤で映画はできている——小便の色の壁と薄めたアブサン色の室内は、祖国や友人からも離れて訳も分からずにタイプを打つ作家にお似合いだ。座りこむ砂か灰の山はもしかしたら彼らの内部かもしれない。骨かもしれない。血肉かも知れない。そんな風に映画『裸のランチ』は飄々とした虚無で、二十世紀最大の影響力を放つ小説の一つとなる物語を書く過程にある男を見つめ、作家たるもの大きな犠牲を払わねばならないだとか、孤独を味方につけねばならないだとか、そんなことは当たり前だというように感傷を突き放し、掠れた肌に突き刺す注射針の先端で宙ぶらりんにしてみせる。ピーター・ウェラー扮するバロウズ(ウィリアム・リー)の、未知の不安への慄きと諦観が同居した、乾きながら涙に濡れた死体の写真を撮るかのような表情! それこそバロウズに魅せられた者たちの砂漠に生まれしカメラの表情だ。ムカデを駆除剤まじりの吐息で殺すときの、なんという舌舐めずりの層で構成された高揚だろう(余談だが、現在のクローネンバーグはその“危険な老人っぷり”の風貌と佇まいがますますバロウズに似てきている)。
デヴィッド・クローネンバーグはウィリアム・バロウズによる、恐ろしく興味深い凍結した瞬間のモンタージュ小説『裸のランチ』を、執筆活動における危険性と影響、書くということはなんたることかという映画に翻案してみせた。原作で描かれているヘロインやマリファナをブラック・ミートなど架空のドラッグに置き換えているのは、バロウズが『Everything is permitted : the making of Naked Lunch』に寄せているように神業と言っていいだろう。
「病的速記で書かれた言語道断な精神毀損を告発する断片的な礼状の執行者」「肛門をしゃべるようにした男のことは話さなかったかな?」原作のバロウズ節が効いた台詞の挿入が魅力を強調し、今行われている事実のみにスポットが当たり、肌に眼球にフィルター無くそれが突き刺さることへの戰慄を思わせる——『ザ・フライ』で蠅人間へと変貌してしまう主人公、『デッドゾーン』で身体に何も異常は無いが特殊能力に目覚めてしまった主人公。過激なイメージに支配され自らもグロテスクな環境の一部となっていく男が主人公の『ヴィデオドローム』。クローネンバーグ監督作品には常に肉体、精神の変容を遂げる人々があり、異形、異物との融合があり覚醒があり、破滅があり、世界の何ものとも相容れない孤独がある。だが自らの幻想と心中する『M .バタフライ』の男や潜在する自我を受け入れまるで胎内へ還っていくように死を選択する『戰慄の絆』の美貌の双子とは異なり、『裸のランチ』の主人公、ウィリアム・バロウズ=ウィリアム・リーは肉体を棄てやしない。これは死と中毒とが身体をすり抜けていった人間、自らをタイプライターとした人間の物語でもある。書くことへの姿勢を描いた物語という点で、無意識下で書くことの現れとして悶えるようにのけぞるようにキーボードが勝手に踊り始める描写、ジョーンとのセックスにタイプライターが参加しようとじたばたもがく様子などは、面白い。「作家は記録する機械だ」とバロウズは言う。「有毒な言語が俺の脳を麻痺させ」「言語に絶する恐怖を忘れない」全てを記録する、現在を記録する。決して書き直すことなくあること全てを記録する。「全てが許されている」深遠は荒凉とした口を広げて、作家を待ち受けている。
バロウズは、奈落の底が寝そべる場を、現代の暗部に、内臓が剥き出しの言語で器用に掴みかかることをやってのけ、あらゆるギリギリのラインに探査機を降ろした。清潔なマスクを被っても、グロテスクで醜い現実ならば、誰かが決めた理性なんて唾棄して、挑発的な言葉を吐いてやってもいいんじゃないのか。映画『裸のランチ』言葉同士のセックス——筆者いらずの言語の奔流——未知の流行病が横行し、不条理がまかり通る現在、自らを機械として事実を直視し、醜悪や愚鈍を恐れ知らずの言葉とヴィジョンで告発する彼の“報告書”をいま一度読んでみようではないか。存在するかも分からないものに中毒した者の孤独と注射器を琥珀色の夢に封じ込めた、ちょっぴり悲しいこの映画と一緒に。
(和泉萌香)
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