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映画評論 影との逍遥 第十三回「ポルト」和泉萌香

 そこで生を送りたいと願うのはどのような場所だろう。迷い続けたいと願うのはどこだろう。永遠の眠りを託したいと願うのはどこだろう。きっとそのような部屋、空間は夢とも言い難いに違いない。例えば恋人が隣で眠る明け方に、やさしい魔物に誘われた朝も夜も知らない、秒針の先端の難破船なのかもしれない。琥珀色で抱擁された、愛する人と共有するまどろみの一頁なのかもしれない。消える時を知らずに、ガラスケースに閉じ込められた線香花火の火花に宿っているものなのかもしれない。もしくは、蝋燭の光に照らされた美しいひとだけが視界を占め、まるで嘘のようにあなたを見つめたその時だ。ある瞬間から、あなたにとって時間は真っ直ぐに進むものでは無くなる。そうしてあなたも知らないうちに、最も望んでいる場所で、逍遙の舞台を見つけることになる。囚われや夢という言葉も忘れて。

 ある男と女が出会う。それは神の影が決定したというように、全く突然に彼らは出会うのだ。それまで名前も出生も知らなかった彼らが。「言葉を口にしないでお互いの心のうちが読めた。それでうまくいかないはずがない」その台詞のように、言葉が知っているよりも早くふたりは愛し合った、誰かが決めたように愛が何よりも早く訪れたのだ。映画『ポルト』は三つのパートから成り立っている。一つ目は発掘現場で働くアメリカ人の青年、ジェイクの視点の章。二つ目は考古学を学ぶフランス人留学生、マティの視線から。そして最後は、ふたりだけの夜の出来事が。一夜だけを共にしてその後離れ離れとなった男女の出来事と心情とが、過去と現在をばらばらに配置して描かれるのがジム・ジャームッシュ製作総指揮、ゲイブ・クリンガー監督作の『ポルト』だ。

 発掘現場で視線を交わしあったジェイクとマティはその夜、街中のカフェで再会。情熱的な夜を過ごすが、マティには恋人がおり、事実を受け止めきれないジェイクは彼女にしつこく付き纏ってしまう。悩んだマティによって彼は留置所に入れられる。時が過ぎ、マティは結婚して子供もいるが、夫との関係は冷め切っている。ポルトガルの街でふたりはある場所へと呼び戻されていく。一日のうちに出会って愛し合いそして別れた、その夜を共にした相手との空間のことを。

 本作で一番素晴らしく美しいのは、やはりジェイクとマティ、ふたりの夜を濃密に知らせる三つ目のパートである。群青色の夜空に河の水面と街の明かりが煌めき、それはこの夜は特別なのだと定められていると報告するに相応しい、情熱を乞う若者たちの頬を撫でる美しいものだ。求めていたのは瞬間的な悦楽ではなく、夜の涯の向こうまで伸びてゆく蝋燭の光のあたたかさ、景色だったと説得させる、個人的でロマンティックな美しさに溢れている。男と女はこの時に自分の世界へやってきた恋人を確認し合いながら言葉を交わしあう。この一晩で年老いて、世界の終わりを見てしまったかのように、彼らは甘美な疲労に身を委ねる。

 夢にも現実にも、生の世界にも死の世界にも属さないような場所で何度も何度も巡り合う。記憶の曖昧さを示し、それは午睡のひと時を無限に拡張したかのような物語の代表作に、以前、本連載でも取り上げた『去年マリエンバートで』がある。『ポルト』は現代の、ポルトガルという土地を明確に、また登場人物たちに匿名性を与えなくとも、映画という閉じ込められた時間の世界——繰り返し巻き戻し、その“時間”にも“表情”にも“愛の瞬間”にも出会い直すことができる世界——時間軸通りに進んでゆくのではなく、時間を思い思いに組み換えることができる場所の構造を利用して、『去年マリエンバートで』、アドルフォ・ビオイ=カサーレス著『モレルの発明』的、無時間となった場においてまた出会い直したいという、悲痛かつロマンティックな衝動を描くことに成功している。ラストシーンは、ジェイクとマティが共にした一夜の、次の朝の場面で終わる。まだ眠りから覚め切っていないジェイクのもとに、朝食を買ってきたマティが笑顔で戻り、これは円環の物語であるというように、冒頭と同じ姿勢でふたりは見つめ合う。確かに永遠とも呼べる瞬間に安堵する恋人たちの顔を映して、映画は終わるのだ。時間が巻き戻されたでも無く、あたかもふたりが個人的なやさしい顔をした朝の中で再び出会い直すことができた、そのような説得力を持って。『ポルト』は情熱の記憶を忘れてしまうのでは無く、そこに愛を向けながら、失い続けることの物語なのだ。続いていく喪失がふとした瞬間に“永遠”という舞台を紡ぎ出すことがあることをうたう映画なのだ。

 もう二度と出会うことのない、愛する人というのは、どこにいるのだろうか。どこで眠りについているのだろうか。

 その相手に私たちは出会ったことがあるのだろうか。

 忘れるよりも、失い続けることを選んだ、そんな尊ぶべき時と心の隅で、明けないことを願った天鵞絨のような夜の皺で、不思議なくらいに優しく微笑み、眠っているのだろうか。

 『ポルト』で繊細で孤独な青年ジェイクを演じ切ったアントン・イェルチンは、映画の公開から一年後にこの世界を去った。本作は、白く眩い朝の光のなか、愛に抱擁された時のなか眠りにつく、彼に出会い直す映画でもある。


(和泉萌香)

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