そこで生を送りたいと願うのはどのような場所だろう。迷い続けたいと願うのはどこだろう。永遠の眠りを託したいと願うのはどこだろう。きっとそのような部屋、空間は夢とも言い難いに違いない。例えば恋人が隣で眠る明け方に、やさしい魔物に誘われた朝も夜も知らない、秒針の先端の難破船なのかもしれない。琥珀色で抱擁された、愛する人と共有するまどろみの一頁なのかもしれない。消える時を知らずに、ガラスケースに閉じ込められた線香花火の火花に宿っているものなのかもしれない。もしくは、蝋燭の光に照らされた美しいひとだけが視界を占め、まるで嘘のようにあなたを見つめたその時だ。ある瞬間から、あなたにとって時間は真っ直ぐに進むものでは無くなる。そうしてあなたも知らないうちに、最も望んでいる場所で、逍遙の舞台を見つけることになる。囚われや夢という言葉も忘れて。

 ある男と女が出会う。それは神の影が決定したというように、全く突然に彼らは出会うのだ。それまで名前も出生も知らなかった彼らが。「言葉を口にしないでお互いの心のうちが読めた。それでうまくいかないはずがない」その台詞のように、言葉が知っているよりも早くふたりは愛し合った、誰かが決めたように愛が何よりも早く訪れたのだ。映画『ポルト』は三つのパートから成り立っている。一つ目は発掘現場で働くアメリカ人の青年、ジェイクの視点の章。二つ目は考古学を学ぶフランス人留学生、マティの視線から。そして最後は、ふたりだけの夜の出来事が。一夜だけを共にしてその後離れ離れとなった男女の出来事と心情とが、過去と現在をばらばらに配置して描かれるのがジム・ジャームッシュ製作総指揮、ゲイブ・クリンガー監督作の『ポルト』だ。

 発掘現場で視線を交わしあったジェイクとマティはその夜、街中のカフェで再会。情熱的な夜を過ごすが、マティには恋人がおり、事実を受け止めきれないジェイクは彼女にしつこく付き纏ってしまう。悩んだマティによって彼は留置所に入れられる。時が過ぎ、マティは結婚して子供もいるが、夫との関係は冷め切っている。ポルトガルの街でふたりはある場所へと呼び戻されていく。一日のうちに出会って愛し合いそして別れた、その夜を共にした相手との空間のことを。

 本作で一番素晴らしく美しいのは、やはりジェイクとマティ、ふたりの夜を濃密に知らせる三つ目のパートである。群青色の夜空に河の水面と街の明かりが煌めき、それはこの夜は特別なのだと定められていると報告するに相応しい、情熱を乞う若者たちの頬を撫でる美しいものだ。求めていたのは瞬間的な悦楽ではなく、夜の涯の向こうまで伸びてゆく蝋燭の光のあたたかさ、景色だったと説得させる、個人的でロマンティックな美しさに溢れている。男と女はこの時に自分の世界へやってきた恋人を確認し合いながら言葉を交わしあう。この一晩で年老いて、世界の終わりを見てしまったかのように、彼らは甘美な疲労に身を委ねる。

 夢にも現実にも、生の世界にも死の世界にも属さないような場所で何度も何度も巡り合う。記憶の曖昧さを示し、それは午睡のひと時を無限に拡張したかのような物語の代表作に、以前、本連載でも取り上げた『去年マリエンバートで』がある。『ポルト』は現代の、ポルトガルという土地を明確に、また登場人物たちに匿名性を与えなくとも、映画という閉じ込められた時間の世界——繰り返し巻き戻し、その“時間”にも“表情”にも“愛の瞬間”にも出会い直すことができる世界——時間軸通りに進んでゆくのではなく、時間を思い思いに組み換えることができる場所の構造を利用して、『去年マリエンバートで』、アドルフォ・ビオイ=カサーレス著『モレルの発明』的、無時間となった場においてまた出会い直したいという、悲痛かつロマンティックな衝動を描くことに成功している。ラストシーンは、ジェイクとマティが共にした一夜の、次の朝の場面で終わる。まだ眠りから覚め切っていないジェイクのもとに、朝食を買ってきたマティが笑顔で戻り、これは円環の物語であるというように、冒頭と同じ姿勢でふたりは見つめ合う。確かに永遠とも呼べる瞬間に安堵する恋人たちの顔を映して、映画は終わるのだ。時間が巻き戻されたでも無く、あたかもふたりが個人的なやさしい顔をした朝の中で再び出会い直すことができた、そのような説得力を持って。『ポルト』は情熱の記憶を忘れてしまうのでは無く、そこに愛を向けながら、失い続けることの物語なのだ。続いていく喪失がふとした瞬間に“永遠”という舞台を紡ぎ出すことがあることをうたう映画なのだ。

 もう二度と出会うことのない、愛する人というのは、どこにいるのだろうか。どこで眠りについているのだろうか。

 その相手に私たちは出会ったことがあるのだろうか。

 忘れるよりも、失い続けることを選んだ、そんな尊ぶべき時と心の隅で、明けないことを願った天鵞絨のような夜の皺で、不思議なくらいに優しく微笑み、眠っているのだろうか。

 『ポルト』で繊細で孤独な青年ジェイクを演じ切ったアントン・イェルチンは、映画の公開から一年後にこの世界を去った。本作は、白く眩い朝の光のなか、愛に抱擁された時のなか眠りにつく、彼に出会い直す映画でもある。


(和泉萌香)

 「人生にはただ二つのものだけがあればいい。一つは可愛い女の子との恋愛。もう一つはデューク・エリントンの音楽。他のものはなくなってしまえばいい、なぜなら醜いから」


 男二人を乗せて一台の車が走っている。ガタガタ音を立てたゴミ収集車のフロントにはチャーミングな笑みを浮かべる女性のパネルが貼られて、まるで殺風景な地を走る海賊船のようだ。長閑で牧歌的なインストゥルメンタルが流れて、映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は始まる。

 本作はセルジュ・ゲンズブールの代表曲であり、パートナーであったジェーン・バーキンとのデュエットソング「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」をモチーフに映画化された作品である。ゲンズブールの監督第一作となる作品であり、そして冒頭の文句を言い放った作家でありジャズ・トランペット奏者、ジャズ評論家、ゲンズブールが多大な影響を受けたボリス・ヴィアンに捧げた映画だ。ゴミ収集で生活をしている男性二人組、クラスキーとパドヴァンは仕事終わりに立ち寄ったバーでボーイッシュな女の子、ジョニーと出会う。クラスキーはゲイだがジョニーと惹かれ合い、三人の歪で危うい三角関係が生まれていく。淡いブルーを背景に、口付け合う直前の甘やかな緊張を共有するジェーン・バーキン演じるジョニーと、アンディ・ウォーホルに見出された美男、ジョー・ダレッサンドロが目立つ、リバイバル上映ポスターの印象からは遠く、映画は醜悪な符号で溢れている。ジョニーが働く店の主人のげっぷや屁の音は顔をしかめさせ、裸体で横たわる恋人たちの肌には蠅が止まる。カフェバーのビールは見るからにぬるく不味そうで、廃棄物の上でクラスキーとパドヴァンは転がって睦みあう。冒頭ではカラスが収集車のフロントグラスに落下し、血塗れの死骸が転がる。彼らの逢瀬は、劇中の台詞にもある通り、ステュクスのほとりで行われる遊戯なのである。不快な生理音や蠅の羽音が聞こえる中、ゲンズブールが紡ぐ甘美なメロディが何度も何度も繰り返され、ひび割れた地獄の裂け目で優しくメリーゴーランドが回るかのごとく(ジョニーとクラスキーがパーティーで踊るシークエンスではカメラがぐるぐると二人を追いかけ、恋に溺れる者たちの蕩けそうな恍惚を表現している)たかぶる恋の喜びを宣言する。クラスキーの“パートナー”、パドヴァンが握りしめる、まるで死体袋を彷彿とさせる不穏なビニール袋に濁った水が流れる河、ジョニーとクラスキーが観やる真下のゴミ捨て場。そう、全員フランス語を喋るもののポーランド人のクラスキー、イタリア人のパドヴァン、イギリス出身のジェーン・バーキン/ジョニーが集うのはアメリカの片田舎を思わせる乾いた土地で、無国籍で無時間的だが、汚臭が横たわる土壌だ。それは映画館を出た後に再確認される、この世界のように。地獄のほとりで咲く、接吻から絶頂までの距離に生じる恍惚の時間は短いものだ。なぜなら、汚れてしまうから。醜い世界に溶けて、一緒になってしまうから。美しいものは、時に現実の世界で養いきれない。

 「人生で必要なものはただ二つだけ。美しい恋愛と音楽」ボリス・ヴィアンは「うたかたの日々(日々の泡)」でそう書いた。この文句が、かつての若者も現代の若者にも支持されるのには様々な理由があるだろう、退廃趣味とめいうって責任を放棄できるから。醜悪な現実に目を背けるカッコイイ理由づけができるから…。

 だが、生臭いゴミが散乱する世界で発見され、行われようとする、“愛”と名付けられた事件を超えて必要なものは、他にあるのだろうか。

 気絶が降りかかるような一瞬、現実と同化してしまう前の恋以外は醜いと言い切ってしまう挑発。そう信じて身を投じることの刹那的な灼熱が『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』にはあり、時を超えて、醜悪が蔓延り、身を削るような愛に懐疑的な姿勢がある今に、愛のメロディと共に輝き、挑発する。

 愛している。愛していない。

 矛盾するふたつの文句は、偽悪者の感傷を孕みながら、今日も混沌の世界で物語のための場所を探している。


(和泉萌香)

 6月に入り、我が街もとうとう「まん延防止重点措置」の対象地域に指定されることになってしまった。相変わらず気の滅入る日々が続いている。他方で、慢性的に自粛を要請されているコロナ禍下の生活において対象地になったからといって何かが大きく変わるわけではないだろう、そんな諦めと疲労を含んだ声も周囲から少しく聞えてくる。たしかにそのとおりだ。ただし、私個人の心情としては、何も変わらないというわけにはいかない。同措置が課す要件のうち、もっとも厳しく制限されている飲食店での「酒類提供の終日禁止」(飲食店に課されている不合理な制限には他にも思うところが多々あるが、それはさておき)、事実上の酒場の営業自粛要請にはどうにも堪えるところがあった。

 コロナ禍ということが言われるようになってから、何かと槍玉にあげられる酒場の存在。私自身この間に外で呑むことをすっかり控えていたのだから、今回の要請に対してあらためて何かを言う資格はないのかもしれない。しかしそれでも、自分が悶々としている間にも、酒場は粛々と暖簾を掲げ、先の見えない日々を慰労しようとその場に集う人々がいるという事実(もちろん諸々の制約を受けながらだが)に思いを馳せるとき、不安定な心が束の間穏やかになることを実感してもいた。大げさに言えば、酒場という存在がどこかで心の支えになっていた気がするのだ。どれだけ嘆いたとしても事態が変わるわけではないのだが、今この状況下において、“私にとって”酒場とはどういう存在なのかを考えてみることには、少なからず意味があるような気がしていた。



 思い返せば、以前にも一度、酒場についてちょっと真面目に考えてみたことがある。その際のかなり荒っぽい考察は本誌第5号にご掲載いただいている。そのなかで、使用する金額を縦軸に、店の新旧を横軸に据え、二軸四象限的に整理してみた結果、酒場(以下、「酒場」とは「居酒屋」のことである)を「①新小料理屋・創作系和食酒場」「②老舗割烹・老舗小料理屋・古典酒場・老舗酒場」「③チェーン系居酒屋・ネオ大衆酒場」「④大衆酒場」に分類することになった。こうして分類された酒場はそれぞれに異なった特徴をもつこと、加えて、酒肴の質、店の佇まい・雰囲気、コストパフォーマンス、スペクタクルな価値など、分類ごとに利用者が求めている価値の内実が微妙に異なっているのではないかということを指摘してみた。それはある程度は妥当な整理であったと思う。

 一方で、このように酒場を分類してみると、これらのいずれにも上手く合致しない店が相当数あることもわかってきた。特別に珍しい酒肴を用意しているわけでもなければ、とりたてて安いわけでもない。店の佇まいからしても目を見張るようなところはなく、店主の生活圏の延長にある(特に住居兼用のようになっている)場合には、それが「店」であるのかどうかすらも曖昧な、そんな酒場である。こうした視点に立つと、巷に溢れている個人経営の酒場の多くがこのタイプに属していることがわかる。そこで、二軸の中央点を軸にして、四象限のいずれにもかかるような小さな円形を描く5つ目の分類として、それらの店をあえて「⑤ふつうの居酒屋」と呼んでみることにした。

 「ふつうの居酒屋」という命名、また上記のような特徴を記すと、どこか批判的なニュアンスを帯びてしまうのだが、そのような意図はけっしてない。むしろこの種の酒場こそ、酒場の本質をよくあらわしているようにすら思える。家庭では味わうことのできない酒肴、上質な空間、優れたコストパフォーマンス、があるわけではないにもかかわらず、不思議とあちこちに存立している「ふつうの居酒屋」。些か月並みであることを自覚しつつ結論を述べるのならば、業態はどうあれ他の飲食店が基本的には「飲み食いの場」であるのに対し、酒場は多くの場合そこに集う人々にとっての「居場所」として機能している点にこそ、その本質があるのではないかということだ。

 それだけならば、酒場のサードプレイスとしての機能を指摘しているに過ぎないし、事実それ以上のことを述べることもできない。ただ、ある者には特別な価値を見いだすことのできない酒場が、別のある者には強い愛着の対象になるという現象には広く、人と場所との間に生じる特異な関係・感覚のあり様と通じるところがあるのではないか。私自身が「ふつうの居酒屋」に寄せる関心は、別のある感覚と重なっているようにも思えるのだ。



 先に人々が酒場に求めるものの内実として、酒肴(提供物)、空間、コストパフォーマンスについて触れた。それらは酒場に限らず飲食店全般にかかわる価値の指標であるが、もうひとつ酒場に向ける人々の視線を特徴づける重要かつ固有の要素がある。

 巷に溢れる酒場本や酒場ブームの実態に目を向けるとき、酒場が存立する地域が重要なファクターとして機能していることがわかる。厳密には地域の歴史である。東京という限定された地域での例にはなるが、たとえば、酒場愛好家諸氏が「下町」として好む東京の東側のエリアは、その語り口において「戦後」「昭和」に重ねられることがもはや常套である。東側のエリア以外でも、大雑把に古い商店や町並みを残す一体のことを「下町」と呼ぶ場合には、「東京の源流たる江戸の風を残す下町」というフレーズすら目にしたこともある。また、酒場に「人情」「哀愁」といったような語が冠される場合には、多くの場合ノスタルジックな歴史の重ね合わせが無意識になされているといってよいように思う。要するに、土地の歴史にもとづく大きな(かつある程度わかりやすい)「物語」が酒場に向けられる視線には織り込まれており、ここでは酒場が「東京」という都市の「過去」の断片に触れる場所として機能しているということである。

 では、そうした殊更な歴史や物語をもたない土地、あえていえば「ふつうの街」にある「ふつうの居酒屋」とはどのような存在なのだろうか。もちろん「ふつう」という概念が所詮は相対的なものでしかなく、何の歴史や物語をもたない土地など存在しないことも承知している。しかしそれでもなお、あえて「ふつう」という語を冠してみたくなるのは、ある土地に寄せる人々の感情や関係性のあり様は、傍目にも明らかな大きな歴史や物語を必ずしも前提にしているわけではない、ということを確認しておきたいからだ。

 人は自身がかかわる土地との間で、固有(ローカル)の文脈に応じて関係を結び、それらの関係性の上で各々の歴史・物語を紡いでいく。こうした微小で固有な関係、歴史、物語を、他の誰かと共有することは原理的にいってかなり難しい。反対に、先の「戦後」「昭和」といった大きな歴史や物語はそれを享受する者との間で、何がしかを共有することを可能にしはするが(それが単に幻想に過ぎなかったにせよ)、実のところその内実もまた個々に異なっているはずだ。大きな歴史や物語の下で捨象されるものも少なくないだろう。だからというべきか、ある土地、ある酒場を「ふつう」と呼ぶとき、そこに何ものも存在しないということにはならない。そこには、微小で固有な関係、歴史、物語が、たしかに存在している。むしろ、それらの共有困難さこそが、ある土地、ある酒場を「ふつう」と言わしめる/思わせることの由縁ではなかろうか。



 「ふつうの街」と口にしてみるとき、頭に浮かんでくる場所がある。川崎市幸区の南加瀬という街である。唐突に南加瀬と言ってもご存知ない方が大半だと思うが、JR横須賀線・新川崎駅/南武線・鹿島田駅と東急東横線・日吉駅との中間に等しいところに位置し、川崎市営の『夢見ヶ崎動物公園』があること以外には、特徴らしい特徴のないごく「ふつうの住宅地」である。よそ者がそのように形容することにお叱りの声もあるかもしれないが、当の住民自身が「ただの住宅地」と評しているのだから、ひとまずお許しいただけるのではないかと思う(https://suumo.jp/town/entry/shinkawasaki-yashio/)。

 


南加瀬の住宅街。遠くに見えるのは新川崎のタワーマンションと高層ビル。



お気に入りの一角。見事なY字路。



高台にひっそりとある『夢見ヶ崎動物公園』。

住宅地の真ん中にペンギンがいるというだけで「ふつう」ではない気がしなくもない。



 南加瀬を初めて訪れたのは、今から7年ほど前のことである。当時私は結婚を機に、都内から東急東横線・日吉(横浜市)の外れにあるマンションに移り住んでいた。暮らし始めてから3か月が経ったころだっただろうか、日吉駅とは反対の方面、日ごろ足を向けることのないエリアに歩みを進めていると大きな幹線道路(尻手黒川道路)にぶつかり、道路の向こう側に小さな商店が並ぶ通りを見かけた。その際、今でもちょっと不思議なのだが、この道路を境にして土地の空気が切り替わるような感覚を覚えた。特別に風景を分かつような何かがあったわけではなかったのだが、そうした印象は何によってもたらされたものだったのか。東急電鉄の開発思想を比較的色濃く反映した学園都市・日吉と比較し開発のあり様や住民の志向性の違いをそこに見ようとしていたのか、実際に沿線文化(東急東横線/横須賀線・南武線)の異なりが街に反映されているのか、あるいはその辺りが横浜市と川崎市の市境になっていることから両市のイメージを重ね合わせていたのか……そのどれもが正しいようにも思えるが、一方でそのときの感覚からは幾分か逸れているようにも感じられ、実のところ未だによくわからないでいる。ただ、その時から道路の先に広がる一帯が気になりはじめたことは確かで、その場所が「南加瀬」という地名であることも程なくして知った。それから散策の日々がはじまり、今でも時折訪ねている。

 実際に足を運んでみても、自身がこの土地の何にひっかかっているのかよくわからなかった。何度訪ねてみても特徴らしい特徴が見当たらない。住宅街に唐突に出現する《野菜たっぷり餃子あります(1人前400円)》という貼り紙や、何故かプロテインをやたらに売り出そうとする質店など、その都度なかなか面白い出会いはあるのだが、かたやコンビニやドラッグストアなんかもあちこちに散見されて、総じてどこにでもありそうな「ふつうの住宅地」であるという印象が大きく変わることはない(これは今でもそうである)。だが、たとえば夕暮れどき、子どもたちで賑わう小さな公園での何気ない光景を目にしたときや、微かに漂う夕餉のにおいを感じたときなど、束の間に抱く、いわく言い難い感覚にはどこか覚えがあるなという微かな手応えを手放すこともできなかった。



質店の立て看板。半年前には自家製の「栄養シェイク」を推していた気がする。



 もはやこの場所の何にひっかかっているのか、といことを考えること自体にさほど意味がないのではないかと思いはじめていたころ、住宅地のなかにポツポツと居酒屋が灯りをともしていることに気づいた。酒場好きを自認している自分がそれらを見落としていたことは意外だったが、それほどまでにとりたてて特徴のない「ふつうの居酒屋」たちだったのだ。梅雨明けの蒸し暑い日だったのかもしれない。どこかで腰を下ろしてみようと思い立ち、一軒の小さな焼き鳥屋を選んだ。店先の白い看板には『妙心』と書かれていた。

 店内は小さなカウンターと、小上りが二席。店内は意外(失礼!)にもすっきりと整えられていて、壁には店主が推していると思われるマイナーな歌手のサイン付きポスターが貼られている。初見の若造にちょっと驚いた様子を見せつつも、店主と思しき初老の女将が心よくカウンターを勧めてくれた。日はまだ高く、他に客はいない。瓶ビールと一緒に出された突き出しは、料理屋のそれというよりも家庭の味というに相応しかった。「気持ちのいい店だな」という言葉が自然と口をもれた。



小ぶりだが味わいぶかいタンとカシラ。 



 日が傾くにつれ、徐々に店内は賑わいはじめた。現場帰りと思しき作業着姿の中年男性、近くの会社で事務員をやっていると話す少し目上の女性客、カウンターの隅で黙々とコップを空けつづける老人……晴れやかに笑う姿もあれば、疲れや陰りを帯びた表情をみせる人もいる。いずれもこの街で日々を営む常連ばかりのようだった。それはそうだ。ここは特別に用事がなければ、まず足を運ぶことのない「ふつうの住宅地」にある「ふつうの居酒屋」なのだから。そうした常連で賑わう店内の様子をぼんやり眺めていると、ふっと脳裏をちらつく言葉があった。「地元」の二文字である。



 「地元」について何かを語ることは難しい。同郷であったり何がしか共有するものをもっていたりする場合には事情は多少異なってくるが、語る当人の熱量に反してどうにもその場が白けてしまうという経験をお持ちの方は少なくないのではないだろうか。それは「地元」というものが極めて個人的な経験に根差した、ある土地、ある場所に対する特異な関係・意識のあり様であることを物語っている。「地元」とみなす場所にしても、それを出身地とする人もいれば、居住した年数の長い土地をそれとする人もいる。あるいは、関係した年数にかかわらず、特別な経験をもたらした場所が「地元」として意識されることもあり得るだろう。いずれにしても、「地元(意識)」は多様であるはずだ。

 「地元」とは極めて主観的な意識のあり様であり、ある土地と人との間に生じる固有の関係である。その内実を他人が同定することはできない。言い換えれば、その地にかかわりをもつ人々の意識如何により、どんな土地でも「地元」たりうる。ただそれでも、ある土地に「地元」としての空気が色濃く漂うということもまたある気がする。

 自身の経験を振り返ったとき、かつて暮らしていた都内の恵比寿という街は、相対的にいってその空気が甚だ希薄であった。私もまた恵比寿で暮らした約10年の日々のなかで、「地元」という意識を抱いたことは一度もない。それはいずれ故郷へと戻るまでの仮住まいの街であるという意識や、都心部に暮らす人々はそもそも流動的であるという客観的な事実によっていたというよりも、「恵比寿」という街に抱かれるイメージを私自身が内面化し、その地に見合うように自演的に振舞っていた経験の方に深く関係していたように思う(そのことについては前回記した)。あの街においても生じていたはずの個人的な経験や記憶、あるいはかの地にかかわる人々が築いていたであろう街と人との固有の関係を、大きく街全体に抱かれている記号的ないしは消費的なイメージの下に捨象してしまっていたように思うのだ。またそれは、当時の自宅を起点にした南加瀬とは反対の方面、日吉についても近いことがいえる。慶應義塾大学の誘致を開発の基盤にもち、東急の開発思想を比較的色濃く反映した学園都市・日吉。都内から引っ越しを検討していた際、東急東横線沿線に候補を絞りながらも、日吉を選択することにはどうにも抵抗があったのだが、その理由も日吉という街にまとわりついている“いかにも東急”なイメージが、自身の生活を規定するような気がして、どうにも窮屈に感じられたのだった。念のために書き加えておけば、それはあくまでも“私にとっては”であり、あれらの街に暮らす人々があまねくそうであると一般化するつもりは毛頭ないのだが。



慶應義塾大学日吉キャンパス。駅の改札を出てわずか10秒で正門に至る。



日吉の住宅街。駅前を放射線上に伸びる通りを抜けると閑静な住宅街が広がっている。



 そのようにして考えてみたとき、南加瀬という「ふつうの住宅地」にある小さな「ふつうの居酒屋」が、「地元」という土地のあり様を意識させた理由が少しく見えてくる。傍目にみれば何ら特徴と呼べるもののない、どこにでもありそうな「ふつうの住宅地」。しかし、そうした地においても、当然ながら人々の暮らしがあり、固有の関係、歴史、物語が無数に存在しているという事実。そうした微小で固有な関係の存在が、殊更な歴史やそれに付随する大きな物語、ないしは記号的・消費的なイメージに埋没することなく、いわばその「ふつう」さゆえに前景化してくるということがあり得るのではないだろうか。南加瀬の夕暮れどき、子どもたちで賑わう公園の光景や、夕餉のにおいを通して覚えたあの感覚は、単に郷愁をそそられたというだけでなく、ある土地に否応なく結びつけられた「ただの生活でしかないもの」を強く意識させられたことによるものではなかったか。多少強引に言い換えれば、その土地、その場所が、誰かにとっての「地元」であるということを、あの街の特徴のなさが却って際立たせていたのではないか、ということである。



南加瀬のとある公園。ここはいつも子どもたちの声であふれている。



 酒場においてもきっと同じことがいえるだろう。先に述べた分類のいずれにおいても、酒場はそこに集う人々にとって重要な「居場所」たりうる。それは酒場という場所が本質的に備えた機能であるはずだ。しかし、優れた酒肴、空間、コストパフォーマンスといった客観的な価値を必ずしも備えているわけではない「ふつうの居酒屋」の存在は、その「ふつう」さゆえに、個々の人々にとっての「居場所」としての側面(それは極めて主観的な価値にもとづくものである)を、固有の関係を強く喚起させてくるように思える。

 ここまで書き記して最後に、ある土地、ある酒場に「ふつう」という語を冠することが、実のところあまり正しくないことに思い至る。それらが傍目にはいかに特徴のない存在にみえようとも、そこに集い、かかわる人々にとって、そこは固有な関係を取り結んだ特別な場所として生起している。「ふつう」と冠せられるような場所、酒場など、そこに人がかかわる以上、この世のどこにも存在しはしないのだ。酒場という居場所を失った日々のなかで、そんなことを考えていた。


  (続)